東京地方裁判所 昭和59年(ワ)14629号 判決 1986年1月28日
原告 青山友明
被告 青山茂子 外2名
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告に対し、被告茂子は、金192万3,669円、同恵美子及び同和枝は、それぞれ各金96万1,834円とこれらに対する被告茂子及び同恵美子は、昭和60年1月19日から、同和枝は、同年同月17日から各支払ずみまで年5分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 仮執行の宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁
主文と同旨。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、亡青山義文(以下「亡義文」という。)の実兄であり、被告茂子は、亡義文の妻であり、同恵美子は、被告茂子の子であつて、亡義文の養子であり、同和枝は、亡義文と山本良子との間の子である。
2 亡義文は、昭和58年10月20日、死亡し、被告らが相続により、亡義文の権利義務一切を承継した。
3 亡義文の葬式(以下「本件葬式」という。)は、被告和枝が喪主となつて行われた。
その事情は、次のとおりである。
亡義文と被告茂子とは、長期間別居の状態にあり、離婚することで双方の合意が成立していた。また、被告恵美子は、亡義文の養子ではあつたが、被告茂子の連れ子であつた。そのため、被告茂子及び同恵美子を亡義文の喪主とすることは妥当ではなかつた。そこで、亡義文の原告を含む親族は、亡義文とは長期間別居していたが、同人の実子である被告和枝を喪主とすることに決めた。しかして、被告和枝は、22歳であつて社会的経験も乏しかつたため、親族の意向を受けて、原告がその葬式の段取り、準備、火葬場の手配、飲食の注文及び香典返し、お礼等を行つた。そして、香典は、亡義文の父である青山義久(以下「義久」という。)が管理した。
4 右葬式に要した費用は、別表のとおり、合計金384万7,339円であつて、原告は、これを支払つた。
5 葬式費用は、民法885条の相続財産に関する費用に該当するから、相続人である被告らが法定相続分に従い負担すべきものである。すなわち、(イ)同法306条3号、第309条1項によれば、身分に応じた葬式費用につき、相続財産に対し先取特権が認められているから、相続財産をもつて葬式費用の担保とみなされているのであり、葬式費用が相続財産に関する費用に含まれることを前提としている。そして、相続財産が分割されたような場合は、相続人全員が責任をもつて負担すべきである、(ロ)相続税法13条1項2号によれば、被相続人に係る葬式費用につき、相続財産の債務として相続財産から差し引くことを認めている、(ハ)相続も葬式も人の死亡を原因とするものであり、密接な関係を有するから、相続と密接な関係を有する葬式の費用を相続財産に関する費用に含めるのが妥当である、(ニ)人が死亡した場合、社会的地位に相応した葬式費用が保障されなければならないが、保障するためには相続財産の負担とすることが確実であり、相当でもある、(ホ)相続人は、相続財産の取得により利益を受けるのであり、多額の財産を相続により取得しながら、被相続人の葬式費用を負担しないことは許されることではない。
本件葬式費用として、原告が支払つたものは、亡義文の社会的地位、財産状態、地方慣習等にかんがみると、その身分相応のものである。すなわち、亡義文は、医師であつて社会的地位が高く、交際範囲も広かつたこと、多数の不動産、多額の定期預金等(8,735万0,981円)及び現金(375万4,026円)等を保有していたことからである。
なお、葬式費用とは、その社会その時代において相当と考えられる儀式を行つて死者を埋葬するのに必要な費用であり、葬具・葬式場設営・火葬の費用、人夫の給料、墓地の代価、墓標の費用等をいうものであるが、更に、社会風俗上葬式の際に葬式の一環として行われる、弔問客に対する接待のための飲食費、納骨式の費用、49日法要の費用及び葬式後の弔問客に対する接待のための食費等も含まれるというべきである。
したがつて、原告が支払つた金員は、全て葬式費用に含まれ、しかも、被告らが負担すべきものを原告において立て替えたというべきである。
6 よつて、原告は、立替金384万7,339円のうち、被告茂子に対しては、その2分の1である金192万3,664円、被告恵美子及び同和枝に対しては、その4分の1である各金96万1,834円とこれらに対し、訴状送達日の翌日である、被告茂子及び同恵美子については、昭和60年1月19日から、同和枝については、同年同月17日から右支払ずみまで民法所定年5分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 請求原因に対する認否及び被告らの主張
1 請求原因1は認める。
2 同2は認める。
3 同3のうち、亡義文の葬式が行われ、被告和枝が喪主とされたことは認めるが、その余は否認する。
亡義文の葬式は、亡義文の父である義久と母である青山元子(以下「元子」という。)及び原告(以下「原告ら」という。)によつて取りしきられたものであつて、被告らには全く相談もなかつた。そして、被告茂子を嫌うあまり、本人の強い固辞をも無視して、被告和枝を喪主としたのであり、それは形式上の喪主にすぎず、喪主の席に座つていただけであつて、葬式の運営は、原告らが全て共同して行つていたのであり、被告らは一切関与していなかつた。
4 同4は不知ないし争う。
5 同5は争う。葬式費用は、相続財産に関する費用ではない。
6 被告らの主張
(一) 葬式は、死者を葬る儀式である。現実及び社会的には、死者の遺族(必ずしも法定相続人には限られない。)が、死者あるいは遺族の属する社会的集団(広義の意で、居住地域・親族関係・職業関係等)の一員としてその集団におけるしきたりに従つてその地位、身分等に相応しい内容で行われることが一般的であるが、死者の生前の意思や遺族の事情により行われないことさえもある。
葬式を行う場合には、その様式及び規模は遺産の有無やその額とは必ずしも相関関係にはない。死者が予め自己の葬式について特段の意思を表明している場合は稀であり、殆どの場合、当該葬式を営む主宰者が遺族及び死者の所属集団の意思・事情によりその様式規模を決定する。
したがつて、葬式が複数行われることもある。例えば、遺族による葬式と死者の生前勤務していた会社による葬式とがそれぞれ行われる場合等であり、それぞれの葬式における主宰者においてその様式・規模を決定することとなる。
そもそも、「相続財産に関する費用」とは、相続財産の管理及び清算に要する費用であつて、相続の承認放棄前及び放棄後又は財産分離の請求後における相続財産保存のための遺産管理、限定承認、財産分離又は相続人不在の場合における清算のための管理などの場合において相続人、財産管理人が相続財産についてすべき一切の管理、処分に必要な費用をいうものである。
したがつて、葬式は、前述のとおり相続財産の有無、多寡にかかわらず、しかも、必ずしも相続人には限られない遺族あるいは関係者がその判断に応じて主宰するものであるから、そもそも、相続財産の維持、管理には無関係の事実で、葬式に要した費用も相続によつて生じた費用ではなく、いわば死去という事実と、葬式の実施という事実によつて生じる費用でしかなく、結局「相続財産の管理、清算に必要な費用」といえるものではない。
(二) 葬式費用は、当該葬式の主宰者が負担すべきものである。
(一)で述べたように、葬式費用は葬式の実施という事実により生ずるものであるから、遺族間で特段の合意がない場合は、当該葬式の運営方法・内容を決定した葬式主宰者が負担すべきものである。
右葬式の主宰者とは、単なる形式上の「喪主」であるかどうか、法定相続人であるかどうかで一律に決せられるべきものではなく、現実に当該葬式の運営方法を決定し、葬式全体の中にあつて主導的立場にあつた者である。
遺族において葬式を営むにあたつて、遺族ら関係者の意思の内容を十分勘案したうえで、現実に行われる内容の葬式運営方法を決定し主導的立場にあつた者がその葬式の主宰者というべきである。なお、通常、遺族による葬式の場合は、法定相続人のうちの1名=喪主=葬式主宰者である。
右葬式の主宰者が誰であるかを判断するに当たつては、香典を誰の計算において受領し、保管・費消したのかも重要な要素となる。
なぜならば、香典は死者の供養のため、あるいは遺族の悲しみを慰めるために贈られる金品であるが、現実的には死者との所縁ある者が葬式費用の一部を負担して、死者の遺族の負担を軽くすることを目的とした相互扶助の精神(所謂「村八分」でも排除されないほど強固な「つきあい」である。)に基づいて行われる金品の贈与であつて、この香典という贈与の贈り先は、遺族中の誰と特に指定されることは殆どなく、通常はさきに述べた香典の性格から葬式の主宰者(通常は、喪主。)だからである。
したがつて、香典を受領し、これを自己の計算で保管、費消した者は、すなわち、葬式の主宰者とみるべきである。ちなみに、通常は葬式の主宰者となつた者は香典を自己の負担する葬式費用に充当している。
勿論、香典の使途は右贈与の趣旨に拘束される訳ではないから、主宰者の判断で、遺族の生活費、教育費に充てることも、自ら費消することも何ら差し支えない。
なお、遺族間において葬式費用の負担につき、明示黙示の合意があつた場合には、当然それに従うべきである。
(三) 亡義文は、義久と元子間の二男(大正15年生)であり、原告及び圭子の兄妹がいる。その父母とりわけ母元子は、医師となつた亡義文に対する執着心、支配意識が異常なほど強く、亡義文が○○大学医学部卒業後の昭和26年ころ、○○○医学部大学院に進学するため上京した時以降、同人死去に至るまでの約30年間、夫義久と別居してまで亡義文と同居し続けてきたぐらいである。そのためもあつて同人の結婚も遅く(昭和35年)、長女である被告和枝が生まれたにもかかわらず(同36年)、同37年ころには、元子らは亡義文と妻であつた良子とを強引に別居させ、ついに、同42年には、離婚にまで追い込んだ。このような経過もあつて、被告和枝は、亡義文の父母や親類とは一切の交渉を断つて良子の下で生育された。
亡義文は、良子との別居以降十数年間に及ぶ長期間の独身生活を元子との同居生活の下に過ごしたが、昭和51年、知人の紹介にて知り合つた被告茂子と結婚し(婚姻届出は翌52年)、被告茂子の亡夫吉井浩三との間の長女である被告恵美子を養子とした(昭和52年養子縁組届出)。亡義文と被告茂子は、円満な夫婦生活を営み、亡義文は、被告恵美子をも実の子同様に可愛がつていた。また、亡義文は、学業成積優秀な被告恵美子を医師として自らの後継者にする意向を示し、また、同被告もこれに応えて医学部進学を果したこと、被告茂子が亡義文の経営していた医院の事務全般に携わり、妻としての立場が内外ともに確固としたものとなつてきたこと等から、亡義文の父母は、同人の気持が父母から離れていくことをおそれ、更に、同人の財産が結局被告らのものとなつていくことを極度に嫌がり、昭和56年ごろから、様々の口実あるいは甘言、泣きおとし等を弄して亡義文と被告茂子及び同恵美子を強引に別居させるに至つた。
右別居後、亡義文と同居している元子あるいは時折本家塩尻から上京している義久は、日夜同人に対して被告茂子との離婚を決意するように執拗に迫つていた。もともと父母に対する説得の方便としてとりあえず被告茂子との別居に応じた同人には、同被告との離婚の意思など毛頭なかつたが、別居後の父母の離婚慫慂の異常なほどの執拗さから、亡義文は、心身ともに健康を損い、ついに、昭和58年10月20日、心臓発作を起こして死去した。
かかる経過から、義久らは、被告ら3人いずれに対しても亡義文の遺族としての情愛をもつておらず、亡義文の葬式・相続財産一切を同人ら及び原告の支配下に置こうとした。葬式においても、原告らは、被告らの意思を全く無視し、その関与を一切排除し、当面の嫌悪の対象である被告茂子及び同恵美子を全面的に排除し、無視するためにのみ初対面に近い被告和枝を形式上のみの「喪主」とし、葬式一切を取りしきつた。
したがつて、被告らは、原告らの葬式運営方法について事前事後を通して何も相談されたり意見を求められたりしたことは一切なかつた。また、被告ら独自の知人等(亡義文や原告らとは全く面識のない。)から出された香典一切も全て原告らが受領し、その判断の下で保管、費消された。
葬式後の七七日の法要、納骨、香典返しも被告和枝を形式的名義にして、原告らの手によつて一切取りしきられ、法要、納骨には、被告茂子及び同恵美子は呼ばれず、昭和59年3月の御彼岸には、亡義文の位牌への焼香のため訪れた被告茂子に対し、元子がこれを断つたほどである。
本件葬式後、原告らから被告らに対して香典・葬式費用に関する一切の報告もなく、被告らは、同年4月、相続税申告に当たつて、原告ら代理人の○○弁護士や原告に対して右香典及び葬式費用の内容について問い合わせをしたが、原告らは、これに関する一切の回答を拒否したままである。
したがつて、被告らは、原告らが自ら香典を受領し、葬式費用を負担する考えであるものと判断し、右相続税申告に当たり、葬式費用の控除は一切していない。
以上の経過から明らかなように、原告は、相続人である被告らの関与を一切排除してまで本件葬式を主宰した者であり、自ら葬式費用を負担する意思を被告らに対して示していた者であるから、要した葬式費用を自ら負担すべきは当然である。
原告は、義久らとともに亡義文の相続財産が全て、原告らが憎み嫌つている被告ら相続人の下に承継されたことに対する反発として、本件請求を行つているにすぎない。
第三証拠〔略〕
理由
一 請求原因1及び2は当事者間に争いがない。
二 亡義文の葬式が行われたことは当事者間に争いがない。
三 原告は、右葬式費用として、別表のとおり、合計金384万7,339円を支払つた旨主張する。
ところで、葬式費用とは、死者をとむらうのに直接必要な儀式費用をいうものと解するのが相当であるから、これには、棺柩その他葬具・葬式場設営・読経・火葬の費用、人夫の給料、墓地の代価、墓標の費用等が含まれるのみであつて、法要等の法事、石碑建立等の費用は、これに含まれないと解する。
そうすると、原告主張の別表(1)(通夜と告別式の費用)のうち番号9ないし26に記載の寿司、料理、酒、ジュース、菓子等の各飲食代金及び同表(2)ないし(5)(49日法要、納骨代、葬儀後見舞客食費、その他の支払)に記載の各代金の合計金170万8,539円は、少なくとも、右にいう葬式費用には含まれないものといわなければならない。
したがつて、原告が葬式費用であると主張する金384万7,339円のうち金170万8,539円は、右葬式費用には含まれないものであることが明らかであるから、これを前提とする立替金請求のうち、右の部分については、前提を欠き、失当である。
四 原告は、右葬式費用(金213万8,800円)は、相続財産に関する費用であり、相続財産が分割承継された場合には、相続人が法定相続分に従い、これを負担すべきであるから、相続人である被告らが法定相続分に従い、右葬式費用を負担すべきであると主張する。
しかしながら、相続財産に関する費用(民法885条)とは、相続財産を管理するのに必要な費用、換価、弁済その他清算に要する費用など相続財産についてすべき一切の管理・処分などに必要な費用をいうものと解されるのであつて、死者をとむらうためにする葬式をもつて、相続財産についてすべき管理、処分行為に当たるとみることはできないから、これに要する費用が相続財産に関する費用であると解することはできない。したがつて、これを前提とする原告の主張は失当である。また、民法306条3号、309条1項は、債務者の身分に応じてした葬式の費用については、その総財産の上に先取特権が存在する旨規定しているが、これは、貧者にも、死者の身分相応の葬式を営ましめようとの社会政策的な配慮から、身分相応の葬式費用については、その限度で、相続財産(遺産)が担保になる旨規定しているにすぎないと解すべきであつて、これをもつて、葬式費用が相続財産に関する費用であると解することも、まして、葬式費用の負担者が相続人であると解することもできない。しかも、仮に、この規定を右のように解するとすれば、身分相応の程度を超えた葬式費用については、規定していないこととなるから、この部分の費用を結局誰れが負担するかについては、また別個に根拠を求めざるを得ないし、たまたま、相続財産が充分に存在する場合は格別、相続財産が皆無か、あるいは、存在しても、身分に相応した葬式費用を負担するに足りないときは、右のように解するときは、かえつて、債権者に不測の損害を蒙むらせることとなり相当でない。また、葬式費用を身分に相応した部分とそうでない部分とに区別して、その負担者を別異に取扱うこととなるのも当を得ない。
相続税13条1項2号は、相続財産の価額から被相続人に係る葬式費用を控除した価額につき、相続税が課税される旨規定している。しかし、右は、葬式費用のうち、相続人の負担に属する葬式費用につき、控除する旨規定していることが明らかであつて、葬式費用を負担しない場合でも、相続財産の価額から葬式費用が当然に控除される旨規定しているものではない。したがつて、この規定をもつて、葬式費用が相続財産に関する費用であり、相続人が負担するものであると解する根拠とすることはできない。
葬式は、死者をとむらうために行われるのであるが、これを実施、挙行するのは、あくまでも、死者ではなく、遺族等の、死者に所縁ある者である。したがつて、死者が生前に自己の葬式に関する債務を負担していた等特別な場合は除き、葬式費用をもつて、相続債務とみることは相当ではない。そして、必ずしも、相続人が葬式を実施するとは限らないし、他の者がその意思により、相続人を排除して行うこともある。また、相続人に葬式を実施する法的義務があるということもできない。したがつて、葬式を行う者が常に相続人であるとして、他の者が相続人を排除して行つた葬式についても、相続人であるという理由のみで、葬式費用は、当然に、相続人が負担すべきであると解することはできない。
こうしてみると、葬式費用は、特段の事情がない限り、葬式を実施した者が負担すると解するのが相当であるというべきである。そして、葬式を実施した者とは、葬式を主宰した者、すなわち、一般的には、喪主を指すというべきであるが、単に、遺族等の意向を受けて、喪主の席に座つただけの形式的なそれではなく、自己の責任と計算において、葬式を準備し、手配等して挙行した実質的な葬式主宰者を指すというのが自然であり、一般の社会観念にも合致するというべきである。したがつて、喪主が右のような形式的なものにすぎない場合は、実質的な葬式主宰者が自己の債務として、葬式費用を負担するというべきである。すなわち、葬式の主宰者として、葬式を実施する場合、葬儀社等に対し、葬式に関する諸手続を依頼し、これに要する費用を交渉・決定し、かつ、これを負担する意思を表示するのは、右主宰者だからである。そうすると、特別の事情がない限り、主宰者が自らその債務を葬儀社等に対し、負担したものというべきであつて、葬儀社等との間に、何らの債務負担行為をしていない者が特段の事情もなく、これを負担すると解することは、相当ではない。したがつて、葬式主宰者と他の者との間に、特別の合意があるとか、葬式主宰者が義務なくして他の者のために葬式を行つた等の特段の事情がある場合は格別、そうでない限り、葬儀社等に対して、債務を負担した者が葬式費用を自らの債務として負担すべきこととなる。
してみると、右の理は、相続財産の多寡及び相続財産の承継の有無によつて左右されるものではないことが明らかであるから、仮に、被告らが多額の財産を相続したからといつて、右認定、判断に消長をきたすものではない。
また、労働基準法80条は、労働者が業務上死亡した場合において、使用者は、葬祭を行う者に対して、所定の葬祭料を支払わなければならないと規定しているのみであり、国家公務員共済組合法63条1項、2項も、組合員が公務によらないで死亡したときの所定の埋葬料は、死亡の当時被扶養者であつた者で埋葬を行うものに対し、あるいは、埋葬を行つた者に対し、支給すると規定しているのみであつて、当然に、相続人が葬祭ないし埋葬を行い、これの支払を受けることを前提としていない点も右認定判断をするにつき斟酌すべきである。
そこで、これを本件についてみるに、亡義文は、昭和58年10月20日死亡し、その葬式が行われたこと、その喪主とされたのは、被告和枝であることは前記のとおりであるところ、同被告が喪主とされたのは、原告を含むその親族(亡義文の父母ら)の意向によつてであつて、亡義文の相続人である被告らの意向を諮つたうえ、これを汲んでされたものではなく、まして、右親族らが亡義文の妻である被告茂子及び養子である被告恵美子らを喪主とすることが妥当でないと判断して、亡義文とは長期間別居し、社会的経験にも乏しい被告和枝を喪主としたものであつて、しかも、実際は、原告らにおいて、本件葬式の段取り、準備、火葬場の手配等を行い、かつ、香典を管理し、香典返しをし、参列者への飲食等の準備などもしたものであることは、原告の自陳するところである。してみると、本件葬式は、原告らが相続人である被告らを排除して、その責任において、取りしきり、挙行したものであることが明らかであるから、本件葬式を主宰した者は、原告らであつて、被告らではないというべきである。そして、原告と被告らとの間に本件葬式費用の負担についての合意があつたとか、原告が被告らから委託を受けてこれをしたものであるとかの事情もないうえ、本件葬式の実施が被告らの義務であるといえないことは前述したところであるから、原告が被告らのためにこれをしたものということもできない。
なお、香典とは、葬式費用に充てることを目的として、葬式の主宰者である喪主に対し贈与されるものと解するのが相当であり、したがつて、香典返しも右主宰者において責任をもつて行うものというべきところ、原告らにおいて、本件葬式に関する香典を受領し、かつ、これを葬式費用の一部に充てるなどしたうえ、香典返しを行つたことは、原告の自陳し、あるいは、弁論の全趣旨から明らかであるから、この観点からしても、本件葬式が原告らの責任において主宰されたものであるということができる。
以上によれば、本件葬式は、原告らにおいて主宰したものであつて、被告和枝は、原告らの意思で、形式上の喪主とされたにすぎないというべきであり、被告らが右葬式を主宰したということは到底できないから、右葬式に要した費用は、被告らが負担すべきものであるということはできない。他に、被告らが右葬式費用を負担すべきものとする根拠もない。
そうすると、本件葬式費用を被告らが負担することを前提とする原告の本件請求は、その前提を欠き、その余の点につき判断するまでもなく失当であるというべきである。
五 よつて、原告の請求はいずれも失当であるから、棄却し、訴訟費用の負担につき、民訴法89条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 後藤邦春)
別表<省略>